○昭和39年11月、那覇市樋川に生まれる。何不自由なく幼少時代を過ごすが、小学校低学年の頃に父親が精神分裂病(統合失調症)と診断される。自分の家族に「精神病患者」がいるという、恥かしさや惨めさと葛藤しながら小学校時代を過ごす。また、低学年の頃にイジメも体験する。
○自分がイジメを受けたのは父親のせいだとひねくれ、中学生になると不良の道をまっしぐら‥。先生方からは学校創立以来の最悪学年と称され、警察沙汰など問題ばかり‥。生徒指導の先生からは、「亀島は将来、まともになるか‥?ヤクザになるか‥?どっちかだな‥。」と、言われていた。
○高校時代はまともな生活を送り、周りからはリーダー格として慕われる。
○高校卒業後、某大手乳製品製造、販売メーカーに入社する。退職までの6年間、ルート営業に従事するが、社会とのギャップにそれまで築き上げてきた自信が段々と崩れていき、25才の時に初めて奈落の底を体験する。
○友達に誰にも明かしたことのない父親の事や、いろんな葛藤を打ち明けることで、何とか立ち直る。それまでは、父親が精神分裂病(統合失調症)であるにも関わらず、患者の苦しみなど理解できずにいた。
○6年近く勤めた某大手乳製品製造、販売メーカーを退職し、宅地建物取引主任者(国家資格)の資格を取るため、バイトをしながら専門学校に通う。試験は四問択一で余裕かと思いきや、見事に不合格。翌年はマジに勉強して、何とか合格する。
○27才の時に不動産会社に入社。一戸建て、分譲マンション、リゾートホテルの販売に従事するが、4年余りで退職。
○その翌年(27才)に1回目の結婚をし、二人の息子を授かるが、7年後に離婚。
○31才の時に訪問販売会社に入社。浄水器、掃除機、電子治療機器などを売り歩く。
○34才の時に母親がうつ病と診断される。
○その年8ヵ月間、母の介護に専念する。
○37才の時に訪問販売会社の代理店として起業。浄水器を売り歩くが、業績振るわず一年後に廃業。
○39才の時に母親が躁うつ病と診断される。
○40才の時に母親の看病・介護疲れから、人生二回目となる奈落の底を体験する。
○この時も友達に悩みを打ち明けることで、この状態から開放される。
○奈落の底から脱却後、躁うつ病の母を癒したくて、インターネットで検索していたところ、「レイキ」というヒーリングテクニックを知る。その年にレイキサードディグリーの認定をヴォルテックス(東京)で受ける。「レイキヒーラー」光の伝道師・亀島克一誕生(40才)。
○42才の時に「統合失調症、うつ病、躁うつ病の家族を見守る会」・(癒し道どっとこむ)のホームページを立ち上げ、電子ブック(Eブック)をインターネット上で販売開始。業績振るわず一年を待たずして販売中止。
○その年の8月にリンパ整体師の認定を世界リンパ整体協会より受ける。
○同年10月にレイキマスターの認定を「ネオレイキ」で受ける。
○その年の暮れに自宅の一室(那覇市首里)で、現妻と共に「癒し道」(ヒーリングサロン)を立ち上げる。
○翌年の2月に母が他界する。
○43才の時(2007年5月)に宜野湾市伊佐に店舗を移転。「リラクゼーションスペース癒し道」と名称を変更し、現妻と共に本格的にヒーリング活動を始める。
○翌月(6月)、2回目の結婚。
○その年の8月、介護予防エステのスクール「ヒーリングケアスクール沖縄宜野湾」を開校。
○その年の11月、「癒し道」レイキ・クリエイティブスクールを開校。
○2008年3月、「株式会社インフィニティ」を設立。‥と同時に、二号店をオープン‥。
代表取締役社長に就任。
○同年5月に「サナトクマラ・イニシエーター」の認定をメイルフォより受ける。
以上、現在に至る‥。
2008年7月 ☆光の伝道師・レイキマスター☆ 亀島克一
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